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禅定とは?禅定のやり方と智慧との関係について


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禅定とは

禅定(ぜんじょう)とは心を静めて一つの対象に集中するために行う瞑想のことを指します。
仏教の世界で使われている言葉であり、修行の一つとしてもとらえられています。

禅定の段階

そしてこの禅定には修行の進度に応じた段階があります。大きく分けると三グループに分けられ、さらに詳しく分けていくと全部で九段階に分けることができるのです。

色界の段階

厳かな神社の景色

色界とは禅定を三つのグループに分けたときの最初のグループのことです。
ここには全九段階のうち最初の四段階が分類されます。これを「色界四禅」とも言います。

まず、色界の段階に入る前にクリアしておかねばならないことが大きく二つあります。
一つ目は、世間や欲界への執着がなくなることです。欲界とは、人間が五感から得る情報によって楽しんだり苦しんだりする世界のことです。少し難しく感じるかもしれませんが、具体例を言うとテレビを見て楽しんだり、食事をして楽しんだり、転んで痛み苦しんだりする世界です。
二つ目は、悪いことから離れるということです。
心を統一して日常の欲や悪から離れることができてやっと色界第一禅に入ることができます。

第一禅は、あらゆる関わりから離れることで生じる喜びや幸福感で満ち満ちた状態のことです。これはまだ、修行というより悪や欲から離れることで楽を体験しようという意味合いが強いです。なお、この第一禅の段階では、言葉による思考も言葉による思考も行われている状態になっています。

第二禅では、言葉による思考とよらない思考が消え去ることで、心が落ち着いていきます。そこから生じる喜びと幸せに満ちている段階です。
集中しなくても心が統一された状態となっているため、思考をしなくなり、ある種のリラックス状態にもなります。第一禅では、「悪と欲から離れる」ことで喜び・幸せに満ちますが、第二禅では「心を落ち着かせる・統一する」ことにより喜びや幸せを感じることができます。このことからも分かる通り、厳密には第二禅から禅定状態に入っているのです。
ここで一つ疑問が生じます。思考をしていない状態である第二禅ですが、その段階に到達したとどのようにして実感できるのでしょうか?
正確に言えば、修行中には第二禅に入ったと感じることはできません。修行を終え、俗世に戻り、思考をめぐらすことで自分が第二禅の段階に入っていたことを理解できます。つまり、この修行では、体験のあとに思考が後からついてくることになります。

続いて第三禅です。ここでは、第二禅までに感じていた喜びや幸せといった感情から離れます。平静の心を常に持ち、気づきや味わいを身体で感じたうえで、幸福感を得ます。

ここでは、心が統一されている喜びはなくなり、ただ平静の幸福感だけを感じています。これにより、気づきと味わいの心はより一層さえわたり、澄み渡ることとなります。平静を保つことにより新たな幸せに気づくことができるのです。

色界の最後は、第四禅です。ここでは、幸福感や苦の感情をなくします。第三禅までに喜びや憂いといった心が消えているので、平静な心に気づきのみがある状態です。

ここで言う幸福感や苦がなくなるというのは、禅定のさなかに訪れる心の揺れ動きがなくなるということです。外の世界のものに触れて心が揺れ動く「苦」や禅定を行う幸福感も消え去っていくことになります。ここまでに様々な心を揺れ動かす感情から解放されているため、ただ平静の心だけを持ち気づきだけがある世界に入り込むことができるのです。

このように色界四禅では、何かの対象に触れても心が動かないことが最高の状態です。釈迦などはここから一気に最高段階の阿羅漢果に到達しました。次の無色界の段階を飛ばして一気に悟りを開く方は、禅の世界で数多く存在しています。

無色界の段階

無色界は、禅定の五番目から八番目の段階のことです。

第五禅では、対象に触れるという意識をなくします。「物質的存在がなく無限に広がっている世界の中に精神を置く」という空無辺処という境地に達します。

ここからは喜びや幸せという感情から解放されるだけでなく、ただ虚空という何もない空間が限りなく広がる中に心だけが存在します。

第六禅では、空無辺処を超えて識無辺処の境地にたどり着きます。
ここでは、空無辺処で物質に触れないで世界の広がりを感じるのではなく、自分の心に意識を向けて、心自体が何にもさえぎられることがなく限りなく広がっていくということを味わっていきます。

続いて第七禅では、無所有処に到達します。ここでは、心さえ意識するのをやめた無の状態です。

第八禅では、非想非非想処に達します。ここでは、何も意識しないという状態からさらに一歩進んで、意識をなくします。正確には、意識しようとする衝動が起きないように努力します。そうすることで、意識が自分の中に全く起こらない状態にしていけるのです。

仮死状態にも似たこの境地が、色界禅定を超えた無色界等至の最高の状態です。

日本仏教と禅定について

菩薩の画像

日本でも禅定を得るために様々な方法が作られてきました。それが、曹洞宗や臨済宗の座禅であったり、天台宗での止観(法華禅)などです。
これらの特徴として礼儀や作法などのやり方が定められているものが多く、より身体性を重視しているものになっています。

禅定のやり方

緑豊かな自然の中で瞑想をする女性の手元

そもそも禅定の本質というのは心を統一するということです。そのため、古くから日本では座禅や瞑想といった形で行われてきました。
ここでは、一般的な瞑想のやり方を一つ紹介します。
瞑想をする上で気を付けるポイントは姿勢、息、心を調えることです。
まず姿勢です。最初に姿勢をまっすぐに伸ばし、胸を大きく開いて座ります。そして眉間から顔全体、両肩に両腕と上半身全体の力を抜いていきます。手は太ももの上に置き、目は閉じましょう。
なお、座るときには椅子を使ってもらっても構いません。特に膝が悪い方などは無理せずに続けられる方法を選ぶようにしましょう。
呼吸の調え方には、コツがあります。それは一呼吸にかける時間を長めにするということです。それにより自然とリラックスした心に近づけていけます。鼻から息を吸い、鼻から息を吐き、腹式呼吸で呼吸を調えていきましょう。
心を調える具体的な方法は姿勢と呼吸を調えることです。つまり上の二つのことを実践できれば心もリラックスして調っていきます。

これらは静かな場所、落ち着ける場所で行うとより効果は高まります。ぜひ試してみてください。

禅定と智慧の関係について

智慧(ちえ)とは、真理を見極め真実の認識力を得ることです。仏教の修行者はこの智慧を完成させることを目的に日々修行に取り組んでいます。

経典には、「智慧は禅定から生まれる」という言葉があります。つまり禅定を行い、最後の境地に至ることで仏と同じ状態になることができるのです。

禅定狙いについて

禅定をはじめ仏教の修行はすべて悟りを開くことを目的としています。多くの修行者は禅定の段階を長い期間をかけて上がっていき、仏の境地に達するために頑張っているのです。

まとめ

瞑想は仏教の修行としてだけでなく、日常生活で様々な悩みを抱える私たちの気持ちを整理して楽にしてくれる手助けにもなります。人間関係や仕事で悩みがある方は、一度瞑想を行い、禅定を体験してみてください。物のとらえ方が変わり過ごしやすくなるかもしれません。


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